会長の時間
2025.02.18
会長の時間
皆さんこんにちは。2025年も年男卓話から始まり早1か月が過ぎ、もう2月です。2月のイベントといえば節分ですが、豆まきをしたり恵方巻を食べたり、子供のころから慣れ親しんだ行事です。皆さんもご存じだと思いますが、恵方巻は大阪の商人や芸子が商売繁盛を祈願し、節分に巻き寿司を食べたのがはじまりいう説が有力です。決まりとしては1本を切らずに食べる事と、心の中で願いを唱えしゃべらずに黙って食べる事、そして恵方を向いて食べる事です。今年の恵方は西南西だそうです。会員の皆さんはしっかり願掛けできましたでしょうか?
ちなみに本年2025年の節分は2月2日でした。節分は「季節の変わり目」に邪気を払う行事であるため、暦上の春である「立春」の直前の日が節分に指定されます。2月3日が一般的ですが、公転周期のズレを補正するため、数年に一度、2月2日または2月4日になるそうで今年はその年にあたるようです。
さて先日1月31日には大東市役所におきまして大東市逢坂市長より大東市立野崎保育所遊具寄贈に際しての感謝状を拝受いたしました。当日は前回の例会における卓話についての御礼も申し上げて参りました。
また2月1日にはシティプラザ大阪にて開催されましたポール・ハリスソサエティ顕彰式パーティに、杉原エレクトと共に参加させていただきました。当日は2部制で1部ではロータリー財団への理解を深めるため、四宮孝郎ロータリー財団地域コーディネーターのご講演がありました。講演ではロータリーにおいての寄付の意義を話され、1947年1月27日、ポールハリスがシカゴにて78歳でお亡くなりになる前に、葬儀に花を贈る代わりにロータリー財団に寄付をしてほしいと言い残こされたポールハリスの想いを聞きました。 また財団への寄付をふるさと納税に、返礼を補助金に例えられ、各クラブにも非常に有意義なものであることも伝えられました。
ちなみに若い会員の皆さんの中にはポール・ハリス・ソサエティ以後PHSと言い換えますが、そのPHSについてご存じない方もいらっしゃると思いますので簡単にご説明させていただきます。日本語に直訳するとポールハリス同好会、または組合、協会などという事になるようですが、PHSは世界で良いことをすることを末永く支えるため、毎年1,000米ドル以上を年次基金、ポリオプラス、財団が承認した補助プログラムにご寄付される方を認証するプログラムです。認証することによって、財団に継続的な支援を寄せてくださる寄付者の方々に感謝の気持ちを示すことを目的としています。また1,000米ドルを一括だけではなく分割納付でも可能だそうです。
また寄付は恵まれない家族や人々の支援に役立てられ、南アフリカで、幼児教育センター設立のため、教員への職業研修を実施したり、イタリアで、未熟児の死亡率を下げるための研究奨学金を医療従事者に提供したり、マリで、マラリア予防のための防虫加工された蚊帳と医療サービスを提供したりなどに役立てられています。
2部では懇親会があり、多くのロータリアンの方々と交流が出来ました。また泉パストガバナーのドラムとバンド演奏、また大橋ガバナーの歌で会場は非常に盛り上がりました。
さて2月は平和構築と紛争予防月間です。宗教や宗派の違いや民族や文化の違い、独裁政権への国民の不満、領土・資源の奪い合い、歴史的背景に起因するものなど世界では様々な国際紛争が続く現状があり、現在でもロシアのウクライナ進行をはじめ、今なお多くの人々が苦しめられています。平和な環境をつくるロータリー. 人道的組織として、平和はロータリーの使命の礎となるものです。本日は例会における卓話、そして夜の情報集会と長丁場になりますが、森脇国際奉仕委員長にはよろしくお願い申し上げまして会長の時間といたします。

幹事報告
2025.02.18
幹事報告
- 上半期決算について・・・承認
- 春の家族会について・・・承認

卓話
2025.02.18
国際奉仕について
卓話発表者:森脇国際奉仕委員長
昨年の1月1日に石川県能登半島を震源とするマグニチュード7.6の能登半島地震が発生し、石川県内において、死者数233人、住宅被害8000棟を超える甚大な被害が発生しました。能登半島に住む多くの方々が住む家を失い、また肉体的にも精神的にも大きなダメージを受けることとなりました。震災で被災した方々に少しでも笑顔を取り戻してもらえるよう、被災地の子供たちを大阪までお迎えし、昨年の11月16日、17日の2日間で【能登の子供たちに笑顔を】というテーマでWCS事業を行わせていただきました。枚方の中学生たちとも交流をしてもらい、子供たちにはひらかたパークで時間を忘れて存分に楽しんでいただけたのではないかと思っております。あらためて、ご参加いただきました会員の皆様、ありがとうございました。
ではこのWCS事業というのはそもそも何なのか、諸先輩方はご存じのことと思いますが私は正直、今回国際奉仕委員会の委員長になるまではよくわかっておらず、姉妹クラブの台北スワンシーロータリークラブと持ち回りでお互いの国で奉仕活動を行うというぐらいしか理解しておりませんでした。WCSとは、World Community Serviceの略語で世界社会奉仕を意味します。1962年にアジアで初めてRI会長に就任したインドのニッティシ・ラハリー氏によって提唱されました。人道主義に基づいた新しい形の国際奉仕の実践活動であり、当初は文盲対策、スラム街対策などが実施されました。2カ国以上のロータリークラブが一つの社会奉仕プロジェクトを達成するために協力する時、世界社会奉仕プロジェクトが生まれます。WCSプロジェクトは、援助が必要なロータリークラブと、資金や物資、技術的援助や専門的援助を喜んで提供してくれる他国のクラブとを結び付けるものであります。1967年に正式に発足され、それ以来、世界中のロータリアンが関与する何千ものWCSプロジェクトが遂行されてきました。毎年、ロータリークラブは推定2千6百万ドルの資金および物資を提供しています。そして世界社会奉仕プロジェクトには3つの条件があります。プロジェクトはその本質が人道的なものであること、そして、2カ国以上のロータリー国のロータリアンが関与すること、3つ目は、参加国のうち1カ国はプロジェクト実施地であること、この3つの条件が必要となります。WCSプロジェクトは、国際奉仕に属する活動であり、ロータリアンは、このような活動を通じて、人々の生活を改善し、人々のニーズに応えるプロジェクトを実施します。そして、物質的、技術的、専門的援助を通じて、国際理解と親善を推進するとされており、その目標は以下の通りとなります。
1.援助を必要としている人々の生活の質を、ロータリーの国際奉仕を通じて、高めること、異なる国のロータリークラブと地区が協力して国際奉仕プロジェクトを遂行するのを奨励すること 2.援助を必要とするプロジェクト、それに援助を提供したいという申し出についての情報交換の機会を効果的に提供すること 3.国際規模の開発や文化上の問題について、さらに自主自助のプロジェクトを実施する重要性についてロータリアンの理解を深めること
4.RIと財団の関係プログラムと強調事項の参加者にWCSプログラムの提供するサービスを利用してもらうこと 5.ロータリー財団その他からWCSプロジェクトに授与される補助金についてロータリアンに知らせること 6.WCSの成功談を他のロータリアンに伝えること 7.国際理解、親善、平和を育成すること
以上となっております。1967年に発足した世界社会奉仕(WCS)は、「希望の静かなる改革」と呼ばれており、2ヶ国のロータリークラブが力を合わせ、援助を必要としている組織や人々に手を差し伸べ、その組織や人々の要請に応えるとき、世界社会奉仕(WCS)プロジェクトが誕生します。世界社会奉仕(WCS)は援助を受ける組織や人々だけではなく、援助提供を行う組織や人々にも恩恵をもたらすものです。
次にロータリークラブにおける国際奉仕についてロータリーの歴史を見ながら、経緯についてお話をさせて頂きます。弁護士であったポールハリスは1905年2月23日に米国イリノイ州シカゴで初のロータリー例会を開きました。ハリスは、当初は地元の多種多様な職業人を集めたクラブを思い描き、スタートしました。このように、初期のロータリークラブには、今日の人道的奉仕活動を主体とした国際奉仕の概念はありませんでした。初期の奉仕活動は街の衛生改善のために公衆トイレを設置するところから始まりました。そして1908年11月にサンフランシスコに二つ目のロータリークラブが設立され、ロータリー第二の都市となりました。それから1910年にシカゴで開催された第一回ロータリー大会には16のロータリークラブの代表が集まり、全米ロータリークラブ連合会が設立されました。初代の会長にはポールハリスが就任されています。1911年にはすべてのクラブに同じメッセージを届け、クラブと会員からのニュースを伝えることを目的に、『The Rotarian』創刊号が発行されました。ちなみに誌名は2020年に『Rotary』に変更されました。そして1912年から、約数十年間でロータリークラブは世界中へと広がってまいります。1912年4月、カナダにウィニペグ・ロータリークラブが設立され、ロータリーは国際的組織となりました。これを受け、連合会の名が「国際ロータリー連合会」に変更され、1922年には「国際ロータリー」の名称が採択されました。さらに8月にはロンドンロータリークラブが加盟承認され、1913年5月、アイルランドのダブリンロータリークラブが加盟承認され、ロータリーが徐々にヨーロッパへと拡大していきました。このようにカナダやロンドン、そしてヨーロッパへとロータリークラブが波及してきたことから、ロータリアン同士やロータリアンの子弟の相互訪問が行われ、これが外国のクラブ同士との交流に発展していきます。1914年に第一次世界大戦が勃発し、アメリカからヨーロッパに派遣されたロータリアンの子弟の兵士に対して、イギリスのロータリアン家庭がホストをしたという記録が残っています。 また、アメリカ、イギリス、アイルランド、カナダのロータリークラブがヨーロッパ各地の避難民に対する物資援助をしたり、傷病兵に対する慰問活動、終戦で復員してくる軍人に対するボランテイア活動などを行ったという記録も残っております。第一次世界大戦の合間にもロータリークラブでは様々な事が進行していきます。英国国内で増えつつあるクラブの連携を図るため、グレートブリテンとアイルランドのロータリークラブが1914年5月に英国ロータリークラブ連合会を設立します。そして1917年、アーチ・クランフ国際ロータリー会長はアトランタで開催された国際大会で、「ロータリーが基金を創り、全世界的な規模で、慈善、教育、その他社会奉仕の分野で、何か良いことをしようではないか」と提案して、「アーチ・クランフ基金」が設立されます。これがのちのロータリー財団の前身となりました。最初の寄付はカンザスシティーロータリークラブからのわずか26ドル50セントでした。1928年に正式にロータリー財団と命名され、管理委員会も設立されました。100年以上前に創立されて以来、現在まででロータリー財団は教育の支援や持続的な成果を生み出すプロジェクトなどに総額40億ドル以上の寄付金を提供しています。そして1919年2月には南米ウルグアイのモンテビデオでクラブが加盟認証され、ロータリークラブは南米に拡大、同年の1919年にシカゴで第一回の国際協議会も開かれました。そして1919年、第一次世界大戦終了と同時にさらに世界に拡大します。6月にはフィリピンのマニラでロータリークラブが加盟認証され、その4か月後には上海にもクラブが設立されました。1920年にはインドのカルカッタで認証、そして同年1920年(大正9年)10月に東京でロータリークラブが創立され翌年の1921年4月1日に世界で855番目のクラブとして加盟承認されました。同年の1921年に国際大会が初めてアメリカを離れてスコットランドのエジンバラで開催されたことを記念して、「奉仕というロータリーの理想に結束した職業人の世界的友好による理解、善意及び国際的平和の増進」という国際奉仕の考え方が発表され、のちの1922年にロータリーの綱領に加えられました。現在「ロータリーの目的の第4項 奉仕の理念で結ばれた職業人が、世界的ネットワークを通じて、国際理解、親善、平和を推進すること」として明確化されています。この頃のロータリークラブの特徴は一般奉仕概念の理論構築はほぼ完成したものの、奉仕活動の実践についての基準が出来上がって無かったことです。ロータリー活動の実態を、「理論と実践」、「親睦と奉仕」、「奉仕の心と奉仕の実践」、「クラブ内の活動とクラブ外の活動」、「Inside work & Outside work」に対比させる考え方が主力でありました。従来の考え方の特徴は、ロータリーの理念を学ぶ場と実践する場が明確に分けられており、更に、「奉仕の実践活動をする以前に、奉仕の心を学ぶ」ことが順序立てられていたことです。理論と実践は車の両輪にたとえられ、いずれを欠くことも許されませんが、理論の裏付けがない行動は単にエネルギーの無駄遣いだけではなく、運動そのものを危険におとしいれる恐れすらあります。ただし、理論の探求が優先される余り、実践がなおざりになり、いわゆる行動を伴わない二重人格者を作る恐れもあり、更に、ロータリークラブを組織体と見るとき、このやり方ではクラブの奉仕活動の実体に沿った管理が困難となる問題点がありました。1927年、オステンド大会で四大奉仕(クラブ奉仕、職業奉仕、社会奉仕、国際奉仕)が採択されたことによって、これらの問題点は解消され、クラブの組織管理運営と奉仕の実践活動が一致することとなりました。理事会の下に、クラブ奉仕、職業奉仕、社会奉仕、国際奉仕の委員会を置き、理事をそれぞれの委員長にあてるというもので、現在の委員会構成の原形ともなるものです。
第二次世界大戦間近の1934年から1937年にかけて、ポールハリスはイギリス、ヨーロッパ、極東、南アメリカのロータリークラブを訪問しました。(日本には1935年に東京、京都、神戸RCを訪問されました)ロータリアンの友情によって国際理解と世界平和を目指す試みを、国家間の緊張が高まる中で彼自身が実行したとして高く評価する向きも多いようです。しかし、その努力も実らず、1938年ドイツ、オーストリア、イタリアでロータリークラブが解散させられ、1939年第二次世界大戦が勃発します。1940年には日本もRIから脱退を余儀なくされました。しかし、日本のロータリークラブはRI脱退後もその名称を変更するなどして、例会を継続し、これが1949年にRIの再加入後の飛躍につながったと言われています。そして、第2次世界大戦終了後の1949年、サンフランシスコの国連設立準備会には、アメリカ合衆国国務省から要請を受けて、RIから 11 名の顧問団が参画して、国連憲章の原案作成に当たりました、その会合に出席した世界各国の代表のうち、7名の委員長と20名の代表がロータリアンであり、代議員を合わせると49名のロータリアンがこの作業に参加しました。これらの活動はロータリーの歴史の中でも特筆すべき国際奉仕活動といわれています。国連創設におけるロータリーの関わりによって、国連機関との将来のパートナーシップの土台が築かれることとなりました。少し年代は飛びますが、1962年、前述しましたが、アジアで初めてRI会長に就任したニッティシ・ラハリー氏は「世界のどこかの片隅に一人でも不幸な人がいる限り、我々ロータリアンは幸せになることは出来ない」と述べ、世界社会奉仕の概念を提唱しました。こちらも前述しましたが、当初は、文盲対策、スラム街対策などが実施されました。日本におけるWCSプロジェクトの第1号は大阪、京都、奈良、和歌山、福井の365地区によるインドのハンセン病患者を救う事業から始まりました。1967年には世界社会奉仕活動がRIの常設プログラムになりました。直近の大東ロータリークラブのWCS活動としましては先ほどもお話させていただきましたが、今年度【能登の子供たちに笑顔を】ということでひらかたパークにて実施させていただきました。その前は台北スワンシーロータリークラブの方で子供たちに運動靴を寄贈させていただきました。そして過去には大東こども園様の子供たちに遊具を寄贈、またラグビーボールの寄贈等の活動も行ってまいりました。話は戻りますが、1950年代後半頃からロータリアンは若者に特化したロータリー全体のプログラムを立ち上げるなどを行い、若者に社会奉仕への関心を持ってもらい、世界観を広げてもらう活動を強化していこうと計画を練っていました。数年間の検討と計画を経て、1962年、ロータリー理事会が「インターアクト」という名称を承認し、1962年の11月5日に米国フロリダ州のメルボルン高校で最初のインターアクトクラブが認定されました。創設メンバーの一人は、1963年ロータリー国際大会のパネルディスカッションで、インターアクトクラブの活動に学生たちがいかに熱心であるかを語りました。彼が通っていた学校にはほかにも多くのクラブがありましたが、ロータリーとの結びつきをもつインターアクトは、さまざまな職業について知識を得ながら国際的な視点を身につけられるという点で無類の存在であったと述べていたとのことです。インターアクトクラブは高校生がリーダーシップのスキルを身につける青少年の奉仕プログラムでありましたが、その成功を受け今度は大学生と若い職業人を対象とするプログラムとして1968年3月にローターアクトクラブが立ち上がります。その後の数週間で多くのローターアクトクラブがアメリカ、メキシコ、イタリア、インドで立ち上げられ、1年後には25の国や地域に200を超えるローターアクトクラブができました。その後、1971年には【ロータリー青少年指導者養成プログラム(RYLA)】が創設され、以来、高校生や若者がリーダーシップ、コミュニケーション、問題解決などのスキルを磨くための行事や合宿が行われています。1920年代以降からロータリークラブによる学生の交換が行われていましたが、1975年にクラブと地区が管理する公式プログラムとして「ロータリー青少年交換」が認定されることとなりました。そして1978年には、東京で開催された国際大会で、RI会長クレル・レヌーフ氏が「保健 Health、飢餓追放 Hunger、人間性尊重 Humanityの3つからなる3Hプログラムを提唱し、補助金プログラムの創設を発表しました。1979年にはポリオ根絶活動を開始します。当時のRI会長、ジェームス L. ボーマー氏がフィリピンで最初のワクチンを子どもに投与し、フィリピンのポリオ予防接種活動を開始。これが、ロータリーの「保健、飢餓追放および人間性尊重の3-H補助金プロジェクト」の第1号にもなりました。1985年には「予防接種を通じてポリオを根絶する」というロータリーの決意を支えるため、「ポリオプラス」プログラムが立ち上げられました。ポリオの根絶は現在もロータリーの最優先事項であり、「ポリオプラス」がロータリーとパートナー団体の活動を支援しています。そして1988年、ロータリー財団は、試験的プログラムの一環として米国イリノイ州、エバンストンで初の平和フォーラムを開催しました。後にこのプログラムが拡大し、平和に焦点を当てた行事がさまざまな名の下で行われています。1990年にはロータリー財団管理委員会がこのプログラムの間口を広げ、その名称をロータリー平和プログラムに改称しました。2007年RI理事会は「四大奉仕部門」をクラブ定款に明記することを、規定審議会に提案し採択されました。この中の「他国の人々を助けることを目的としたクラブのあらゆる活動」とはWCSを念頭に置いた表現と考えられています。これによりWCSはロータリーの国際奉仕活動の一分野として明確化されました。
ロータリークラブの創設から歴史を追って国際奉仕についてお話を進めて参りました。シカゴで始まった創設当初のロータリークラブは小さな街の集いでした。最初はただの親睦と相互互恵の集いでありました。まずは街の公衆トイレを設置するという小さな奉仕活動からスタートしました。しかしながらその時々の世界の情勢やその時々のRI会長、その他ロータリアンの方々の、世の中をよくする、助け合う、平和を願うという思いからアメリカ全土に広がり、ついには世界全土に広がり、世界奉仕活動に繋がっていったのだということが今回卓話をまとめていく上でよくわかり、大変勉強になりました。私自身はロータリークラブに入会し今年で9年目で、まだまだ分からないことばかりですがこれら先人たちの想いを引き継ぎ、これからも活動に取り組んで参る所存でございます。簡単ではございますが国際奉仕についての私の発表とさせていただきます。

その他
2025.02.18
委嘱状 授与
2660地区より、次年度の委嘱状が届きました。当クラブから、佐藤会員がガバナー補佐に就任されます。樋口会員はインターアクト委員会の副委員長として、中野剛会員はインターアクト委員会の委員として、西山会員は、地区交流活性化委員会へ出向されます。

2025.02.18
2月のバースデーフラワー
