Weekly report

週報

卓話

2024.03.05

日本の職文化の継承と持続

私は、高槻市の山間部で古民家を改装し、「心根」という日本料理店を営んでおります、片山 城と申します。宜しくお願い申し上げます。私がなぜ、山間部に店を構えたかと申しますと、多々理由はありますが、その一つとして、一次産業の衰退ということに危機感を抱いているからです。一次産業がなければ、2次も3次も〜6次もありません。この場所にお越しいただき、環境ごと召し上がっていただきたい。言葉に語弊があるかもしれませんが、飲食店というのはそもそも、わざわざ行く場所であるべきだという考えであります。


昨今、本当に便利な世の中になりました。昔は、洗面器にチョロ水で水を溜め、熱いヤカンを入れて冷めるまで冷蔵庫に入れさせてもらえなかった時代でしたが、今では24時間365日いつでも冷たいお茶が買えて飲むことができたり、氷も貴重で、製氷器に水を貼り高いところの冷凍庫の扉を椅子に乗って水をこぼさないように入れて氷ができるのを待つ時代が、今では飲食店さながら、自動で氷が出てくる時代です。今の子供達は、氷の出来上がるまでや、冷たいお茶が出来上がるまでの苦労も知ることもできない。渋柿を齧ったことがなく「渋い」という味覚も知らない子供達も沢山います。


渋柿のように渋が抜かれた美味しい柿を用意されていたり、野球して遊ぼうというときには、我々は銀紙をカチカチに丸めて太い枯棒を探して野球をしていましたが、バットとボールとグローブが用意されている。そのように全てが準備されていて、はいどうぞという時代です。今の時代が悪いという意味ではありませんが、古き良きものを継承して伝えていく、食で言うところのガストロノミー、文化継承をして伝えていくということが大切だと考えます。


2013年に、「和食(日本料理)」は、ユネスコ無形文化遺産に認定されました。日本の文化の根源は、観阿弥世阿弥の「秘すれば花」という言葉がありますが、節度と品位であると思います。花弁一枚をあしらうだけで、満開の吉野の桜を思い浮かべるセンスは、他の国にはありません。


日本料理の構成の中心は、「うまみ」にあります。「うまみ」を中心に料理を構成するのは日本料理だけで、世界の料理は全て「脂質」を中心に構成します。


昆布のグルタミン酸、鰹節のイノシン酸、椎茸などのグアルニン酸など色んなうまみ成分を中心に構成します。


そのうま「味」が五味の一つ(六味になりますが)として認容されたのは、2002年です。まだ、わずか25年足らずです。そこから日本料理は、世界に注目され始めます。私は、異なる文化でも広く伝える努力をすれば、必ずやがて共感できると思うのです。日本料理の技術は、一子相伝ではなく、広く多く世界に伝えるべきだと思います。ワインの世界にテロワールという言葉がありますが、フランス人に「フランス料理はどんなの?」と質問すると、自分の故郷の郷土料理をそれはそれは得意気に話します。日本人はどうでしょう。そこまで日本料理、和食に情熱がありますか?


2013年、ユネスコ無形文化遺産に登録されて以来、世界の日本料理店は6万軒足らずだったのが、13万軒以上に増えました。そのうち9割9分が日本人不在です。


菊乃井の村田さんはこれを悪しとはせず、「ようやく日本料理が苗木となった」と形容されました。この「苗木」を剪定するのではなく、どんどん大きくして大木にしていこうと。たとえ、おかしな日本料理が出てきたとしても、段々と淘汰されてゆくはずです。皆が興味を持ち、喜んで食べていけば、いずれは必ずちゃんとした方向へ向かうはずです。いろんな種を蒔き続けることが大切です。


2050年の世界予測が発表された時、日本の人口は八千万人に減少し、食料自給率は38%から19%まで落ちると予測されました。日本は60歳以上が45%、若者や子供などの未就労者が30%。残りの25%が75%を食べさせていかなければならない状況です。未来の子供達を救わなければなりません。


そのためには、1次産業から底上げし、一次産品を世界に売っていかないといけないと思います。日本料理を世界の料理にしていく必要があります。他国から輸入したもので日本料理をつくるという本末転倒な事態になりうる可能性が出てくるということです。今、アメリカで広大な土地で日本の米を作り始めています。種子法の改正もありました。農家さんのやる気も削がれてしまいます。輸入大国日本が、より悪い方向へ進む。そこに危機感を持って、消費者も一緒になって一次産業を盛り上げていかねばならないと私は考えます。


 


食というものが、「文化」の枠に認容されたのは、2017年です。「え?」と思われるかもしれませんが、明治の時代に政府が「食を文化にするのはおかしい」としたのが始まりで、ずっとそのままにされていました。食文化を大切にする諸外国とは大きな差が生まれます。


昭和30年頃、世界で唯一バランスの良い食事とされ、日本が食文化の素晴らしい国と、一度は注目されましたが、そこから20年かけて肉の消費量が5倍に、米の消費量は50%になった。自分達の基本的な食べ物をひっくり返した民族は他に類を見ません。それが悪いことだとは思いませんが、今一度、注目して、自分達の食文化というものを見直し、一次産業を盛り返していくこと、持続し、守り、継続してゆくこと大切なのではないかと考えます。


故に、微力ではありますが、私がこのような場所でお客様にお越しいただきおもてなしをすることが、きっかけとなるのではないかと思います。


ところで皆さん、「ごちそうさま」「いただきます」の本当の意味をご存知でしょうか?


「ご馳走様」というのは、馳せ参じ走り回ってその食事に関わった全ての人様に感謝してありがとうという意味です。器を作った人、お箸を削った人、野菜を育て収穫した人、肉や魚を取った猟師さん漁師さん、食事を作ってくれた人、ほかにも沢山の人々のおかげさまで、その食事が出来上がります。その全ての人に感謝です。


では、「いただきます」というのはどうでしょうか。この言葉は、日本語にしかありません。いただきますという言葉は、食事の作り手に言うのではありません。「我々が、明日へ命をつなぐために、自然界の命を」いただきます、なのです。欧米食のカトラリーも、中華や韓国料理のお箸も、縦に配置されますが、日本料理や和食では、お箸を横に置きます。それはなぜでしょうか。おせちの祝箸や我々料理屋で使うお箸は、両方食べられるようになっています。両口箸、両細箸などと言われますが、それは、片方は自身が、もう片方は神様が共に食べるためです。


お箸を横に置くのは、お箸を境に、手前側が人間界、お箸の向こう側(食事側)が自然界とし、自然界と人間界の結界をお箸で表しているのです。先述しました「いただきます」の全形は、「我々人間が、明日は命をつなぐために、自然界の命を、萬の神々と共に、いただきます」なのです。そう考えて食事を摂るのは、日本料理、和食ならではの食文化です。これも大切に継承していかなければなりません。


最後になりますが、私は、人の手から「氣」が出ていると考えており、全ての物質が波動の塊と考えております。良い氣を持ち、その波動で作り上げたものは壊れにくく、瑞々しく、美しく、良い空気感を保ちます。悪い氣を持ち、その波動で作り上げたものは、そうはなりません。おむすびは、三角形の形をしており、手で米の全てを覆います。三角形は神の宿る形であり、「結び」とは、神の名からできた力ある言葉です。食べ手のことを思い、良い氣を込めて作る、お「結び」は、必ずお腹だけでなく、心を満たすものとなるのです。そんなおむすびのような食事を、お客様の心の根にお届けしたいという思いで、私の店名を「心根」と名付けました。皆様の心の根に、良い水となりますように。そんなおもてなしを、これからも続けて参りたいと思います。


心根 店主 片山 城


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