Weekly report

週報

会長の時間

2024.01.30

会長の時間

皆様こんにちは。小正月も終わりまして、各種団体の新年会もそろそろ終わる時期になりお正月気分もとれ、ようやく平常業務に戻る頃だと思います。1月23日の本日は花粉対策の日だそうです。(花粉問題対策事業者協議会が制定しました)春の花粉問題の早期の対策を広めることを目的としているそうです。私も花粉症ですので、早めの対策をしたいと思います。さて、先週の水曜日は大東青年会議所の1月総会懇親会に来賓として出席してきました。今年の森岡理事長は、ロマンを抱け!をスローガンに、若くて勢いのある挨拶をされていました。17年前に私も同じ立場で挨拶をさせて頂いた頃が懐かしく思えました。新入会員も30人拡大を目標に年度初めに15人の新入会員が入会されていました。若いって素晴らしいなあとつくづく思いました・・・。


又、昨日は春の家族会の下見に森脇職業奉仕委員長と間幹事とで行ってきました。紆余曲折はございましたが、皆様に職業奉仕、桜、お食事を満喫頂ける内容となり、森脇職業奉仕委員長らしい企画ですので、是非沢山のメンバーのご参加をお持ちしております。よろしくお願いいたします。今月は、職業奉仕月間です。「職業奉仕とは、何でしょうか?」ロータリー運動は倫理運動であると思います。そして「倫理」とは何か、「人として、人間としての、正しく歩む道」です。人を騙すような行為、泣かすような行為をしてはいけない。非人道的、非社会的行為をしてはいけない。世のため、人のために尽くしなさいという教えが「倫理」です。そしてその心を職業社会に適用していくのが「職業倫理」です。この倫理こそが「職業倫理」であり、ロータリーは職業倫理を追求する運動なのです。そして、これが「職業奉仕の本質」であります。森脇委員長には、職業奉仕の本質を改めて今日の卓話と夜の情報集会で勉強頂いて、メンバーの皆さんに水平展開をして頂きたいと思います。


それでは、今日はロータリーとして長い一日となります。最後まで“笑顔で和気藹々”でよろしくお願いいたします。ありがとうございました。


卓話

2024.01.30

職業奉仕とは何か

ロータリークラブに2016年に入会させて頂いて、今年の5月で8年目を向かえます。例会に出席し、先輩方のお話をお聞かせいただき、また、親睦も育んで参りました。ただ、ロータリークラブの根幹である、この職業奉仕について今期、委員長になるまではあまり深く考えたことはありませんでした。委員長を仰せつかってから約半年の間に地区の委員長会議に出席させて頂いたりして色々と職業奉仕とは何かを学んで参りました。しかしながらなんとなくはわかってきたもののはっきりと理解をする事はありませんでした。今回、卓話をするにあたり、委員長会議の資料や他のロータリークラブさんの資料などを調べてみると、委員長会議の資料よりもさらにわかりやすく、納得できる資料がございましたので今日はそちらをご紹介したいと思っております。2640地区の2006年当時の職業奉仕委員会の角谷委員長のまとめた資料になります。


これは、第2680 地区の深川純一パストガバナーの「職業奉仕とは何か」の話を中心に、私の考えも挿入しながらお話させていただきます。この話は、職業奉仕を理解するうえでの基礎的な考え方であり、この話を理解した上で手続要覧を読んでいただければよく理解できるのではないでしょうか。ただし、もしこの話に間違いがありましたら、ひとえに、私の勉強不足故のことですので、ご容赦いただきたいと思います。


職業奉仕を理解するには「ロータリー運動は倫理運動である」ことを理解しなければなりません。ロータリーが倫理運動であるがために、古来よりいろいろな原理原則が生まれてきたようです。その中でも、これがロータリーだといわれているのが職業奉仕です。


「ロータリーのロータリーたる所以は、職業奉仕の実践にあり」と言われています。このように言うと、職業奉仕は難解である、難しいと言われます。確かに理解に苦しむような点があります。まず、「ロータリー運動は倫理運動である」の 「倫理」という言葉ですが、この言葉が解からなければ、これからの話が全く 理解できなくなります。


倫理とは「人が正しく歩む道」です。人を泣かせるような行為をしてはいけない、人を欺いてもいけない、非人道的、非社会的行為 をしてはいけない、世のため人のために尽くしなさい、というのが倫理の教え です。まずは、この言葉を理解していただいたうえで、皆様方にお聞きします。「職業奉仕において何が難しいのか、どこが難解なのか」。このように質問させていただいた時、皆様方のほとんどの方が、何が難しいのか、どこが難解なのかさえ解からないものと思われます。これに答えられる人は、かなり職業奉仕の知識がある人だと思われます。そこで、職業奉仕を理解するうえで、何が難解であるのかを 3 つの問題点としてまとめました。


一つ、職業奉仕と社会奉仕をどのように区別するのか、二つ目、職業奉仕という言葉の問題、3つめ、職業奉仕の実践、この 3 つの問題点さえ理解できれば、職業奉仕の基礎的なところはほぼ理解できるのではないかと思われます。まず一つ目


 


 


 


 


 



  • 職業奉仕と社会奉仕をどのように区別するのか


 


非常に誤解を生みやすい言葉があります。それは「自分の職業を通して社会に奉仕するのが職業奉仕である」という言葉であり、このように思われている方が非常に多いのです。自分の職業を通そうが通すまいが、社会に奉仕するのですから、この奉仕活動は社会奉仕です。それでは、この中に職業奉仕が含まれていないのかというとそうではありません。職業奉仕も含まれております。ではどのように区別するのか。それは「受益者が誰であるか」ということで区別することができます。このような説明があります。


<奉仕活動によって、受益者が自分以外の地域の人々、もしくは地域社会の場合は「社会奉仕」でありましょう>


<奉仕活動によって、受益者が自分自身の場合は「職業奉仕」でありましょう>


しかし、これで説明を終わってしまうと何がなんだか解からなくなってしまいます。


そこで、受益者が誰であるかを説明し、理解するために、実例を示すのがもっとも解かりやすいのではないでしょうか。


泉南ロータリークラブさんで動物病院を経営している尾崎会員は、公立幼稚園の砂場における「蟯虫検査」の奉仕活動を行いました。砂場というのは非常に不衛生なところで、野良猫や野良犬が来て糞をします。その中には蟯虫が混じっていることがあり、園児が知らないうちに感染してしまうことがあるそうです。そこで砂場の蟯虫検査をすることにより、より安全な砂場で園児が遊べるよう、園児の健康管理を目的に行いました。


“この奉仕活動において、受益者は誰であるのか?”


自分以外の人々としての受益者は幼稚園児であり、その親です。そして地域社会としては幼稚園であり、教育委員会です。この意味からいうとこの奉仕活動は社会奉仕になります。次に、この奉仕活動において、自分自身が受益者になるのはどういう場合でしょうか。


それは園児の親や幼稚園、教育委員会が尾崎会員に対してどのような感情を持つのかです。自分の職業を通して子供たちの健康管理というものを考え、自分で何が出来るのかを考えて行ったこの砂場の蟯虫検査は、園児の親や幼稚園は、尾崎会員に対し、尊敬の念を持つのに違いありません。それと同時に、尾崎会員は、信用と信頼を「砂場の蟯虫検査」という奉仕活動で、自分自身が得るのです。これはお金では決して得ることの出来ないものです。社会奉仕をすることによって、その地域の人々、地域社会から「尊敬と信頼と信用」を自分自身が得るのです。そして自分の職業がその反射的効果として繁栄するのです。これがロータリーの「職業奉仕」です。奉仕活動によって自分自身が受益者になるのです。


社会奉仕と職業奉仕は、以上のように「一対」のものであると考えてもよいのではないでしょうか。「最も多く奉仕する者、最も多く報われる」という言葉をご存知でしょう。


今、尾崎会員は、公立幼稚園の蟯虫検査のみならず、泉南市内のすべての公園の砂場の蟯虫検査を行っています。これはより多くの社会奉仕活動をすればするほど、その地域の人々や地域社会からより多くの職業奉仕である「尊敬と信頼と信用」を得るのです。これが「最も多く奉仕する者、最も多く報われる」なのです。次に「職業奉仕」という言葉の問題です。


 


 


 


 


2、「職業奉仕」という言葉の問題


 


「職業」とはお金を儲けるための手段です。私たちが生きていくための所得を得る手段であり、これは「自分のためのもの」です。一方、「奉仕」とは世のため人のためのものであって、すなわち自分以外の「人のためのもの」です。このように全く正反対の 2つの言葉が 1つになって職業奉仕といっているために非常に解かりにくいのです。この言葉は完全なるロータリー用語であり、辞書には載っていません。そして、「職業奉仕」という言葉は、「職業」すなわち金を儲けることであり、「奉仕」すなわち世のため人のために尽くすことです。つまり、ロータリーの職業奉仕とは、「職業を営むこと(金を儲けること)が、世のため人のための奉仕となる」と言っているのです。


ここが職業奉仕にとって一番難解な点です。深川理論では、この一点が解からなければ「職業奉仕は永遠の謎となってしまう」のです。そこで、この問題を理解するために、職業を営む心(金を儲ける心)も奉仕の心(世のため人のために尽くす心)も同じ一つの心であると思ってください。そして、この一つの心とは、すなわち「世のため人のために奉仕をする心を持って職業を営むべし」と考えます。


この言葉は何を意味しているのかというと、それは自分の金儲けに対して「人を泣かせるような金儲けをしてはいけない、人をだまして金儲けをしてもいけない、非道徳的、非社会的行為をして金儲けをしてはいけない、世のため人のためになるような金儲けをしなければならない」と言っているのであり、自分の職業に対して強く「倫理性」を要求しているのです。


アメリカの有名なマフィア、アルカポネは賭博や暴力で稼いだお金で街で炊き出しをしたり、恵まれない子供たちに寄付をしました。現代でも南米やメキシコの麻薬組織は麻薬で稼いだお金で貧困層の生活を支えています。極端な話、その原資がどのようなお金であっても売名行為であっても困っている人からすればこんなにありがたい事はありません。しかし我々ロータリアンは違います。我々は奉仕の理念を持つ、高潔な職業人の集まりです。職業奉仕とは、職業倫理の運動です。これが最初に述べた「ロータリー運動は倫理運動である」という言葉の意味です。すなわち「ロータリー運動は職業倫理を追及する運動である」ということです。ロータリーにとって職業倫理は基本的な考え方であり、ロータリーの哲学でもあります。


次に、視点を変えてこの問題を考えてみます。それは他団体との比較です。


私は他団体のことはあまり詳しくは解かりませんので、深川理論を引用させていただきます。ロータリークラブ以外のアメリカ系奉仕クラブ(ライオンズクラブ、シビタン、コスモポリス等)は職業を通して儲けたお金の一部を奉仕に使ってください、職業時間の一部を割いて、もしくは余暇の時間を使ってボランティア活動をしてください等、いわば困った人を助ける「弱者救済を持って奉仕とする」という考え方です。職業の心(自分のためのもの)と奉仕の心(自分以外の人のためのもの)は相反する心であり、職業が同時に奉仕とは考えられず、それぞれは別の世界に存在するものであり、そのため彼らの行動から個人の職業倫理を排除しています。


しかしロータリーは奉仕の基礎を職業倫理に置き、職業の心(自分のためのもの)も奉仕の心(自分以外の人のためのもの)も一つの心だと考えます。そのため一つの心を持って職業を営み、かつ奉仕をすると説いています。だからロータリーにおいて倫理に反する儲けは存在しません。もし、非倫理的儲けにおいて儲けたお金が奉仕に使われていたとしたら、果たしてそれが真の奉仕といえるでしょうか? もし、だまされ、泣かされたお金の一部が奉仕に使われていたとしても、他団体は問題にしません。なぜなら彼らの標語は「Not I serve, but We serve」なのです。


個人では奉仕をせず、クラブが奉仕をするのです。個人の倫理については何も言いません。強いていえばクラブとしての倫理です。一方ロータリーの標語は「I serve」です。奉仕は個人の職業倫理において、奉仕の心を職業社会に実践するものです。クラブはその集合体であり、ロータリークラブとしての職業奉仕の実践機能はなく、団体奉仕という概念はありません。ロータリーに入会されるとき、クラブ全会員に対して、その人が入会してもよいかどうかを問う投票が行われます。もし不適格であると会員の誰かが判断したならば、その人は入会を許されません。ロータリーは入会に際しても、その人の倫理性を問うのであり、他団体にはこういう機能はありません。これが他団体とロータリーとの大きな相違点です。もし、「ロータリーの職業奉仕を一言で表現するなら、どのように表現するのですか」と問われたら、私は迷わず「世のため人のために奉仕する心をもって職業を営むべし」と答えます。この言葉こそが職業奉仕にとって一番大事な言葉であり、基礎であり、決して忘れてはならない言葉であると思っています。次に職業奉仕の実践についてお話します。


 


3、職業奉仕の実践


私は最初に「ロータリーのロータリーたる所以は職業奉仕の実践にあり」と述べました。他団体の会員は「ロータリークラブは毎週毎週、なぜ例会を開くのですか?私たちは1ヶ月に2回例会を開催するだけです。ロータリーは例会で食事をし、話を聞いて、寄付をします。ロータリークラブというのは金持ちの暇人の集まりですね」とよく言われます。この言葉に対して、我々は強く反論しなければなりません。ロータリーの例会は食事をするために出席するのではありません。卓話を聞くために出席し、卓話を聞いて職業倫理を学ぶのです。我々は職業人の集まりです。例会に出席することにより、職業人同士の体験談、知識、知恵等を耳にし、職業倫理を互いに学びあうのです。卓話は聞いては忘れ、聞いては忘れてしまうものなのですが、しかし何度も何度も聞き、そして忘れていくうちに、次第に自分自身が磨かれ、ロータリー(職業倫理)が身についていくのです。そのため、ロータリーは毎週例会を開いているのです。クリスチャンが毎週日曜日に教会に行って神に祈り、心を洗うのと同じように、ロータリーは必ず毎週1 回の例会に出席し、お互いに心を磨きあうのです。


まず、ロータリアン自身の心を磨かなければ、ロータリアン自身の倫理を高めなければ、世の中に倫理を提唱することはできません。したがって、ロータリーは毎週例会があるのです。これが社会奉仕だけを目的とする団体や単なる寄付団体や慈善団体ならば、毎週例会を開く必要はないでしょう。極端なことを言えば半年に 1 回総会を開けばよいのです。例会に出席しなくても寄付さえしておけばよいのです。しかし、ロータリーは単なる寄付団体や慈善団体ではありません。ロータリアンの心の開発を第一義とする団体です。人作りなのです。社会奉仕だけを目的とする団体ではありません。ロータリーの職業奉仕の実践は、まず倫理を追及する例会出席に始まるのです。すなわち、職業奉仕の実践は、例会に出席することから始まるのです。以上が「職業奉仕とは何か」との話です。この 3 つの問題点を理解していただいたならば、職業奉仕の基礎的な考え方はほぼ理解できるのではないかと思います。しかし、他にもいくつかあります。ひとつは四つのテスト


 


 


 


四つのテスト


この四つのテストの創案者はハーバート・J・テーラーという方です。これは職業奉仕の実践において最も重要な言葉です。


真実かどうか―真実は不変であり、時代を超越するものです。真実は正義なくしては存在し得ません。


みんなに公平か―顔を突き合わせてとは言わないまでも、腕を伸ばせば届くような所で、激しくやり合うビジネス手法に代わり、公平さを取り入れたビジネスは、お互いの関係を傷つけるよりも、その関係向上に役立ってきました。


 好意と友情を深めるか―人は生まれながらにして、他者と協力して生きていく存在であり、愛情を示すことは生来備わっている本能です。


みんなのためになるかどうか―この項目は、食うか食われるかを原則とする無慈悲な競争を排除するものであり、それに代わって建設的で創造的な競争を導入するものです。


これら4つのテストは非常に簡潔、明快な言葉で言い表されており、私が強いて説明する必要がないと思います。次に決議23-34号です。


 


 決議23-34 号


この決議 23-34 号は、職業奉仕を勉強するうえで必ず理解しなさいといわれる決議文です。また、職業奉仕を含め、ロータリーの「思想」を表している決議文です。第 1 項冒頭において「ロータリーとは、利己と利他との調和を目的とする人生哲学である」と記されています。この「利己と利他との調和」とは、適正利潤によって商人は儲かって幸せになるが、顧客もその商品を買って幸せになるという、両者の調和点がどこかになければならない、これを抽象的な表現で表すと“利己と利他との調和”ということになります。


つまりこれは、商人と顧客の間に、目に見えない信頼関係を表しているものであり、信用のある商人(ロータリアン)が栄えるということは、その反射的効果として地域社会全体も栄えるということを意味しており、この点を追求するのがまさにロータリーなのです。ロータリーの“奉仕”とはこのことをいうのであり、ロータリアンが日常の企業経営の中に「利己と利他との調和」を本体とする奉仕の考えを植えつけるものでなければなりません。「個人の職業倫理を追求することにより、顧客との信頼関係(利己と利他との調和)を築き、ロータリアン全員が栄えることにより、その地域の経済が潤い、ひいては地域社会全体が栄える」というように考えると解かりやすいのではないでしょうか。


以上、職業奉仕についてご報告をさせて頂きました。ここまでお話させて頂いて、私なりに考えたのですが、日本に昔からある商人の教えで「三方よし」という近江商人の経営哲学がございます。「商売において売り手と買い手が満足するのは当然のこと、社会に貢献できてこそよい商売といえる」これに大変良く似た考え方であるのではないかと思いました。皆様も良くご存知の言葉だと思いますが少し説明させて頂きます。


まずは売り手良し、売り手とは商人、つまり販売者や事業者の事です。商品やサービスを買い手に売り、世間からは評価される対象となります。多くの経営者はまずはこの「売り手よし」を目指して経営を進めます。自社が存続するためには利益を得て、従業員に給料を支払わなければならないからです。もちろん、利益を追求するだけで会社が存続できるわけでもありません。自社の利益ばかりを追求した結果、利益を生み出せても一過性になる可能性も高いからです。世間の評価には商品の良しあしだけでなく、企業理念や志の部分も影響します。そこで登場するのが次に説明する「買い手よし」の考えです。


買い手とは売り手から商品やサービスを購入して受け取る顧客の事を示します。「買い手よし」とは自社の消費やサービスが消費者やユーザーにとっての利益につながっている、顧客の満足度を高められたという状況を指します。顧客が何に価値を感じるか、答えはひとつではありません。高級レストランとファストフードショップでは、まったく異なるターゲティングが行われます。「質」を求める顧客と「安さ」を求める顧客に、等しく価値を感じてもらえません。「買い手よし」の実現には、ターゲティングをしたうえで顧客を選別することが重要です。次に世間良しです。世間とは社会全体(競合他社を含む)の事を示します。商品やサービスの売買が盛んになると、世の中は大きく発展します。さらにたくさんの商品やサービスが必要となり、それを提供するための人が雇われ、雇用という社会貢献も生まれます。たとえば環境を無視して有害物質を出し続ける会社は、短期的に見れば利益が得られるかもしれません。しかし長期的に見れば社会や周囲からの反発が大きくなり、存続が難しくなる可能性もあります。買い手からの信頼を得て買い手の生活が豊かになり、さらに世の中がよくなっていく考えが「世間よし」です。この三方よしという言葉は私の知り合いの会社でも経営理念として用いられていますので私も実践していくべき言葉として意識はしています。しかしながら自分の欲が出てしまったり、わかっていながらでもなかなか実践していく事は難しい事柄だと思っています。皆様はどのように実践しておられるかなど、このあとの夕方からの情報集会でまた皆様のご意見等をお聞かせいただければと思います。以上でございます。ご清聴ありがとうございました。


 


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2024.01.30

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