卓話
2024.08.27
「との力」(『論語と算盤』)
卓話発表者:樋本 有伸 会員
『論語と算盤』は渋沢栄一が講演したものをまとめた書籍であり、その教えをシンプルに言えば、道徳と利益の一致させることだ。
論語と算盤は不釣り合いでかけ離れているものであるが、経済は道徳によってできているし、道徳は経済によって真の富がもたらされるものであるから、実は、両者は極めて近いものであると。ここにおいて論語と算盤という懸け離れたものを一致させることが、急務と考えている
出典:『論語と算盤 処世と信条』
【意訳】
人間が衣食住に欲求を持つ限り、それを満たすのが経済であり、道徳であるといいます。また、衣食が足りてこそ礼節は成り立つわけだから、道徳と経済は一体的に存在しているのだといいます。つまり、論語の説く中身は経済を円滑に回すための理論に他ならないのだと。
「富にして求むべくんば、執鞭の士と雖も、吾亦これを為さん、如し求むべからずんば、吾が好む所に従はん」
利益のためなら何をしてもいいわけではなく、道徳を伴った利益を追求しなさい、また同時に公益を大切にしなさい。ただし正しい道を踏んでという句がこの言葉の裏面に存在しておることに注意しなければならないとも指摘をしている。
出典:『論語講義乾』
道徳を無視して金儲けに走るのは、「悪い金儲け」であり、「論語(道徳)と算盤(経営)を一致させること」それは「よい金儲け」と言った
これを道徳経済合一とよんだ。
欧米の経営者の道徳と経済の関わり方・捉え方について
アダム・スミスが「国富論(諸国民の富)」を出版したのが1776年。国富論に先立つ「道徳感情論」の中で、人間は元々道徳に関する価値基準を持っているという前提を示しています。個人が利益を追求することで、社会全体の利益となるような望ましい状況に導かれることを「神の見えざる手」と説いた。
イギリスはちょうどその頃から産業革命がはじまり、豊かになる資本家と過酷な労働を強いられる雇用者とのギャップが拡大し、労働者によるラッダイト運動も起こる中、キリスト教精神に基づいた人道的な労働環境を用意する企業温情主義を実践する企業が現れた。石鹸製造のリーバやチョコレート製造のキャドバリーなどは、労働者に対し、家やコミュニティ、保険、娯楽施設といったものを提供した。
キャドバリーやリーバの経営者としての本心は、産業革命のひずみから生まれてきた社会主義思想の脅威から自社の労働者をブロックするところにあり、忠実な労働力の安定確保、ストライキを回避するという経営戦略の一環だった。
アメリカでは、イギリス以上に産業組織の規模が大きくなり、企業家の富の蓄積が目立った。カーネギーとロックフェラーは傑出した取り組みを行った。経済的な成功を成し遂げた上に、蓄積した富の再分配に取り組み、その役割はファウンデーションが担い、寄付した基金により実行された。このファウンデーション方式が、株式会社と分離された形で道徳の実践機能を担い、その後の米国の富の再分配モデルとなった。
- 企業の道徳的な振る舞いは、問題への対処という消極的な実践が主だった
- 事業で富を獲得してから社会に還元する事は、成功した経済人の理想であった
- 道徳と経済が二項対立的に語られるのが欧米の特徴であった
当時の欧米の経営者に見られたのは、自社の経営目的を達成するための企業温情主義(パターナリズム)や、経営活動の成果の還元という、もともと分離していて別物である「経済」と「道徳」のバランスを取りながら実行するという分離主義であった。言い換えると「経済が成立してから、道徳的に振る舞う」というのがひとつの成功モデルであった。
これに対して渋沢が提唱するのは経済と道徳はまったく一体のものである、という認識であり、それ故「論語か算盤」ではなく、「論語と算盤」なのである。
「との力」と「かの力」
「か」というのは、orだ。右か左か、上か下か、白か黒か。何かを進めるに際して、物事を区別し、選別して進めることで効率性を高めることができる。
ビジネスは選択の連続であり、「かの力」は、あらゆる場面で必要不可欠なものだ。しかしながら、「かの力」だけでは、イノベーションは生まれないと考える。なぜならば「かの力」は2つのあるものを比較して選別するだけだからである。隔離するだけでは、化学反応、つまりイノベーションが生まれてこない。
一方、「との力」は、一見すると矛盾しているようなものを組み合わせたり、一致させることを考える事になる。そこに、ある条件が整うと矛盾したものに化学反応が起こり、それまで考えつかなかったようなイノベーションが生まれる。渋沢が言っているのは、「論語と算盤に優劣をつけることなく、一緒に進めよう」という事である。確かに、「との力」で考えることは、一見すると対立軸にある要素である場合も多いであろう。「との力」で何が生まれるのかがはっきりするためには、時間もかかり忍耐力も必要だ。何の成果も出てこないうちは、ただの無駄にも思えることもだろう。
しかし、その無駄とも感じる時間を耐えているうちに、矛盾や無駄と思えたものの中から、「あ、これはいける」というものが、突如眼前に現れ、そこにイノベーションが生まれる。その能力を発揮するためには、『論語と算盤』の根幹をなす「との力」を十分に発揮させることが肝心なのだ。渋沢栄一は、この「との力」を原動力に、次々と新しいことに挑戦し続け、現在までつづく500以上の起業に関わったのだ。
移り変わりと目移りが激しく非連続の時代と呼ばれ、多様性と多動性、持続可能性が求められる今の時代だからこそ、皆が「との力」が必要と感じ、渋沢が見直されているのであろう。
