皆さん、こんにちは
新型ウィルスの感染者数が激増してきています。今一度、気を引き締め個々に完全感染対策をお願い致します。
さて、今日は第2650地区 研修委員会の資料を基に少しお話しさせて頂きます。
第2840 地区 2010-11 年度 前橋ロータリークラブ 会長 本田 博己のお話から「ロータリソング」についてです。
例会に歌を歌う風習は、1907 年、今から113 年前シカゴRC で始まりました。「親睦」か「奉仕」かの大論争で、ぎすぎすしたクラブの雰囲気を和らげようとハリー・ラグラス(5人目の会員)が音頭をとって歌い出したのが始まりです。当時はロータリーソングなんてまだありませんので、民謡や当時の流行歌が歌われたそうです。
初めての日本語オリジナルのロータリーソングは、1935年(昭和10年)5月の第70地区大会(京都)を記念して募集され、当選したのが4作品だったそうです。
第1 位は「旅は道づれ」。
作歌 杉村廣太郎(東京)
作曲 吉住小三郎(東京)
旅は道づれ世はなさけ なさけは人の為ならず
世は明鏡のやどす影 うつす形を偽らず
わがほほえめば 影も笑む
自分がなした善は、福となって帰ってくる、「最もよく奉仕する者、最も多く報いられる」というロータリー・モットーに通じるような内容の歌詞のように思います。
この「旅は道づれ」は作曲の一部に盗作があったため後に失格となり、第2位の「奉仕の理想」が、第1位に繰り上げ当選になったそうです。
本田会長は、この歌にずっと違和感を抱いていました。2行目の「御国に捧げん」の「御国」が、ロータリーの思想と相容れないと感じたのです。戦後死語になったような「御国」は使いたくないと思い、この一節を歌うときは、今でも頭の中で「地域に捧げん」とか「社会に捧げん」と頭の中で置き換え、口パクされているようです。
実は、この曲を作詞した京都RCの前田さんの原詩は、「御国に捧げん」ではなく、「世界に捧げん」だったのです。当時の村田省蔵さんというガバナーは国粋主義的な考えを持った方だったようで、この「世界に捧げん」を「御国に捧げん」と変えなければ当選は無効と宣言したので、前田さんは泣く泣く承諾したのだそうです。前田さんは後に亡くなる前、「もし出来ることなら何時の日にか、原詩の『世界に捧げん』に戻していただければありがたい」と遺言されたそうです。
「御国」という言葉に変えたのは、英語が敵性語とされ、米国由来のロータリーに世間の冷たい目が向けられようとしていた時代に、ロータリーの組織を守ろうとする苦肉の策だったかも知れません。実際、この「奉仕の理想」が発表された昭和10年の5年後には日本のロータリークラブは国際ロータリーを脱退し、解散を余儀なくされることになります。
そうしたロータリー苦難の時代を耐え抜いたこの歌の歴史は尊重しなければなりませんが、私たち21世紀を生きるロータリアンはこの歌の「御国」を、「世界」でも「地域」でも「社会」でも自由に置き換えて歌ってかまわないと私は思っています。
と、いうお話です。
何気なく歌っているロータリーソングですが、この様に誕生秘話があるのだなと改めて思いました。大川大先輩の「大東ロータリーソング」の秘話も聞きたかったなと感じ、いと惜しむばかりです。
本日の例会も新たな気づきと出会いの場となる事を願い会長の時間と致します。
有難うございました。